1952年2月東京スカイツリーがそびえ立つ墨田区向島で生まれ、幼少期は隅田川を渡り対岸の浅草で育ちました。
振り返ると、30代半ば 家業で有ったゴムパッキング製造業を兄から受け継ぎました。親会社から仕事をいただくわけですが、発注ミスにより短納期になっても その客先の製造ラインを守りぬく気概で邁進してまいりましたが、親会社の担当者から【発注先はあんたの所だけでは無い】、 常に安く、安さを求められるうちに 親会社に貢献する気持ちが冷めてしまったところ、さらに重要保安部品を内製化するという事で ドル箱製品が引き上げられました。が、数か月後 他の外注で製造しているのを発見してしまいました。
また、親会社との懇親会の席で担当課長がかなり酔っていたせいか、同僚との会話の中で【下請けなんて 生かさず殺さず】で良いんだよと話をしているのを聞いてしまった時、【なんて心の寂しい人】なのかと思ったことを今でも思い出します。
私自身、物造りとは「一定の品質を守る」「納期を守る」は当たり前のことですが、ヒューマンエラー、突発的な事故や災害から客先の製造ラインを守る事が大きな使命と物造りに励んでまいりましたが、海外転注などにより、受注量が減り会社として維持できなくなってしまい、従業員に退職金を払えるうちにと廃業を選択しました。
ただ、おかげさまで 子供二人、大学を卒業させることが出来た事について大変感謝しています。
話が変わりますが、40代のころ大腸癌で開腹手術、新型コロナ感染では家内と共に隔離施設に入院。退院二日目に心筋梗塞発症、緊急手術で一命をとりとめました。その後、家内はステージ3の乳ガンと告知され、お葬式やお墓の事やらが頭から離れませんでした。
手術を受け、幸いなことに抗がん剤治療のおかげで、今は普通の生活を取り戻しつつあります。
振り返ると私自身はこれまで、趣味のスキューバダイビングで3回死に目に遭遇しましたが しぶとく生き残っています。
そのスキューバダイビングですが、警察、消防に潜水部隊が無いころ水難事故により遭難者が出ると手弁当で捜索に出かけてまいりました。今でもいくつかの場面を鮮明に思い出すことが有ります。
2025年7月、断捨離の一環で、三階建て住宅からマンションに引っ越し、階段のない生活にたどり着き、今はとても快適に過ごしていますが、行政手続き、免許証、郵便局、NHK、公共料金、銀行、保険、カード会社、電気、ガス、水道、会社関係も加わると「住所変更手続きだけでも大変な時間と費用と手間」が掛かっています。
また、若い時であれば何でもない事が出来なくなっている【今】を痛感しています。
皆様におかれましては、「断捨離・終活キラキラサポーター」をご活用頂き、生活の質を落とすことなく「安全で健やかに」「豊かな毎日」をお過ごし出来るようにと心から願いこの事業を進めてまいります。
最後になりますが、これまで何回も肩透かしにあったり、自身の勉強不足により行き詰まるなど ご迷惑をお掛けしてきました。が、これで最後かと観念する中何回か救いの手があらわれ何度も助けられました。
蚊取り線香の中心にたどり着く前に恩返ししたいと切に願っています。